市町村数の変遷
年 月 備   考
1888 明治21年  71,314 71,314   
1889   22年  39 15,820 15,859 市制町村制施行(明22. 4)
1923 大正11年  91 1,242 10,982 12,315  
1945 昭和20年10月  205 1,797 8,518 10,520  
1956   31年 4月  495 1,870 2,303 4,668 町村合併促進法施行(昭28.10) 
1956   31年 9月  498 1,903 1,574 3,975 新市町村建設促進法施行(昭31. 6)
1962   37年 10月  558 1,982 913 3,453 市の合併の特例に関する法律施行(昭37.5)
1965   40年 4月  560 2,005 827 3,392 市町村の合併の特例に関する法律施行(昭40.3)
1975   50年 4月  643 1,974 640 3,257   (↑合併ガッペイ特例トクレイホウ
2000 平成12年 7月  671 1,991 567 3,229  
(出典:自治省HP合併相談コーナーより抜粋)
1889(明治22)年前後の明治の大合併は、小学校区(約500世帯)を目処とされました。
1955(昭和30)年前後の昭和の大合併は、新制中学が運営できる人口8千人規模が目処でした。
2004(平成ヘイセイ16)ネン前後ゼンゴ平成ヘイセイ大合併ダイガッペイは・・・
平成ヘイセイ17ネンガツ合併ガッペイ期限キゲン。(昭和ショウワ40ネン合併ガッペイ特例法トクレイホウ
合併ガッペイ協議会キョウギカイ設置セッチ住民ジュウミン発議ハツギ有権者ユウケンシャの1/50の署名ショメイ
  (議会ギカイ否決ヒケツトキ有権者ユウケンシャ1/6の署名ショメイ住民ジュウミン投票トウヒョウ
人口ジンコウマンになれる。(平成ヘイセイ16ネンガツまで)レンたん要件ヨウケンヨウ市街地シガイチ)のみ必要ヒツヨウ
  人口ジンコウマンになれる。(平成ヘイセイ17ネンガツまで)ホカ多数タスウ条件ジョウケンり。
    以後イゴ人口ジンコウマン様々サマザマ条件ジョウケン必要ヒツヨウ
議会ギカイ議員ギイン合併後ガッペイゴ年間ネンカン在任ザイニン可能カノウ
地方税チホウゼイは5年間ネンカン地区チクベツ調整チョウセイできる。(以後イゴ均一キンイツ
地方チホウ交付税コウフゼイは10年間ネンカン現状ゲンジョウのまま交付コウフられる。(以後イゴ縮減シュクゲン
地方債チホウサイ特例トクレイが10年間ネンカンある。
下水道ゲスイドウ特例トクレイが10年間ネンカンある。