川の都
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2月28日(日)、みなみこま大楽佼(だいがっこう)に一日入学(入楽?)してきましたのでご報告します。
「南巨摩共生のまちづくり塾」の主催で毎年様々な催しが行われています。今年度は「七町七度七変化」と題して、永六輔氏を学長に迎え、増穂町小室山妙法寺でみなみこま大楽佼が開校しましたので行ってきました。
9:30「朝の会」にて地元の増穂町長のあいさつのあと、
永六輔学長による1時間目「新・学問のススメ」が開講します。
学長の講義は具体的な話題を引用してわかり易いものでした。以下講義の概要です。
- 昨今話題の臓器移植の話題から、人間の生と死の話。
- 若いアナウンサーの話題から、言葉を知らないのは生活や学校も様変わりしているからとの話。例えば欄間(らんま)のある家の減少、「仰げば尊し」は学校で既に歌われないことなど。
- 松下村塾を例に、個別指導と地域の人材育成の話。個性の尊重。
- お元気なお母様を例に介護保険、主治医の話と、医療・振興券など行政にはしっかり意見を主張して、何かしてくれる事を待つのでなく、自分達がどう行動できるかが大切だという事。
そして宿題が3つだされました。
- 主治医を持つ
- 来客にはとりあえずお茶、でなく飲みたいものを尋ねる(ホスピタリティ)
- 物忘れなどを年のせいにしない
終いには仰げば尊しを皆で合唱して終わりました。(受講生は200人位いらしたでしょうか)
11:30「給食の時間」では、のしいれとまいたけご飯を、地元NA穂積の皆さんが振舞ってくれました。おいしかったです。
続いて12:30から神戸元気村の吉村誠司氏による「その後の神戸元気村」の講義。
地震では家具の転倒がまず危険。自宅の寝室や、居間の家具の点検が必要で、
普段から避難場所の確認を家族でしておく事。また災害避難時には、避難者の所在確認、一覧づくりが最初の仕事になるとの事でした。
阪神淡路の被災後4年たっても、震災は終わっていない。震災ボランティアの仕事も終わっていないとの事。私たちも忘れてはいけないし、被災者のニーズに合わせた支援活動を行いたい。元気村ではサン(3)ライス(米)運動として、被災者に月3kgのお米を届けているとの事。今日も受講者は米1合づつを持参しました。
(3/20に「地球が動いた日」阪神淡路の震災の映画を増穂で上映するそうです。)
(→98/1の神戸元気村報告へ , →神戸元気村のHPへ)
13:30からは3時間目、「おもしろまちづくり楽」と題して
県内各地のまちづくりリーダ各氏、舟木上次氏(清里萌木の村)・
三森修氏(勝沼ぶどう農家)・早川源氏(山梨総研)・
三沢美弥子氏(青年海外協力隊を育てる会)に、
吉村誠司氏(神戸元気村)を交え、
司会を宮本重男氏(中富町)に、
南巨摩郡7町のまちづくり実践の方々、
佐野喜美男氏(富沢町、たけのこまつり)・
森田守氏(南部町、内船歌舞伎保存会)・
望月三千夫氏(身延町、しょうにん通り)・
望月正二氏(早川町、青年同志会)・
笠井伸二氏(中富町、和紙工業組合青年部)・
深沢一幸氏(鰍沢町、養猪業)・
井上光三氏(増穂町、NA穂積)が、活動の報告と現状の問題点をお話して下さいました。熱のこもる活動報告に予定時間を大幅に超えて、またアドバイザの方々の辛辣な指摘も在りましたが、皆さん既に実践している者の強みで一言ゝに説得力がありました。
<他に紹介された方、小沢さん(ハイチ友の会)・出沢さん(印伝屋お番頭)・
望月さん(南巨摩振興事務所)・堀田さん(お百姓)>
以下はお話の概要です。
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増穂の井上さんは、
増穂町は全体では人口は微増だが、人口は中心部に集中し、穂積(ほずみ)[小室(こむろ)+高下(たかおり)]や平林の山間地は過疎状態である。S59に8集落に青年会が発足し、花いっぱい運動、ふるさと夏まつりなどを実施する。行政との懇談会「穂積を育てる会」を通して、NA(ナイスエリア)穂積はH8に結成され、「あじさいの里づくり」で日本一のあじさいの里を目指す。
緑化事業で県の予算をGet。地域ぐるみで雑木・雑草を伐採し、施肥・給水・植栽を行った。また10月に妙法寺のお会式と同日に「ゆずの里まつり」を行っている。大釜の露天「ゆず風呂」が人気。
他に福祉フェスティバルなどを実施。近くの特別養護老人ホーム「福寿荘」のお年寄りと小学生とで落語と手品を楽しむ。
問題点は、活動に時間が取られすぎるきらいが在る事、予算がかかる事。
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富沢の佐野さんは、
毎年4月のたけのこまつりに巨大オブジェを製作。
95年に第一号、竹の骨に紙を貼って6mの桃色筍をつくるも強風で壊れる。
96年に改良版、竹の皮を貼って11mの緑筍を完成。
福岡県小川町や山梨学院大に技術指導を行う。
そして97年に道の駅とみざわにコンクリート製が完成。それからは竹のゲートや竹の輪切りを結んだオブジェなどを作成。今年も準備中、乞うご期待。
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南部の森田さんは
伝統の内船(うつぶな)歌舞伎も50年前には尾上・板東など3つの座があったが廃れ、青年団がS50に復活させるも途絶えたが、保存会を結成しH1から子ども歌舞伎も初め育成を続けている。
3/8のNHK昼どき日本列島にて紹介予定。
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身延の望月さんは、
上人(しょうにん)通りは町の外観を全て作り替えた。
観光客は記念写真を撮るも買い物をしてくれない。
商店数(十数軒)が少なすぎる。
若手の彫刻家に向け、コンテストを開催して彫刻を上人通りに並べたい。
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早川の望月さんは、
親も先祖も早川生まれの生っ粋の早川人。
S55にUターンの人を含め青年同志会を結成。色々活動を続け、今は無人の家屋の活用を通しての活性化に取り組む。(赤沢の宿)
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中富の笠井さんは、
和紙工業組合の青年部9人で、20年位前から伝統の和紙づくりの研究と、新しい素材の和紙の研究を続けている。地域では西島の盆踊りを復活させ、3年前には空飛ぶバナナ大作戦と題して巨大和紙風船作りを行った。
課題は、紙漉きのイベントには9人が一致団結するが、他のイベントには皆興味が薄い事。
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鰍沢の深沢さんは、
30年位までから、十谷を拠点に若草会
何か事業を起こそうと、イノシシの飼育を始めるが、出荷が軌道に乗らず、苦心しているとの事。
予定をオーバして16:00、本日の講義が終わりました。
最後に、西島の手漉き和紙に印刷された、手作り修了証を頂いて帰りました。
最後まで受講されたのは100人弱位でしょうか。今日はお年をめされた方が割と多く若い人(20〜30代)がほとんどいませんでした。まちづくりの発表の方々も40〜50歳位の方々で、もっと若いの(や幼いの)を巻き込まないとガッツある活動、継続的な活動になりにくいかもしれません。
内容は面白かったです。だからこそ、聞きっぱなしではもったいないのでこの通りまとめました。後につなげないともったいない。
それにしても寒かった。お寺は天井無しの吹き抜けで、標高も高いので寒い。風邪気味の身には酷でした。
1999.2.28 uploaded. 文責:kasait
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